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2008年 6月2日
旭堂南青 「木村の麻風呂敷」 南海・南湖 トーク「前回のあらすじご紹介」 旭堂南華 「上方講談物語(三)~新聞連載時代の講談師~」 旭堂南湖 「上方講談物語(四)~ラジオ時代の講談師~」 旭堂南海 「上方講談物語(五)~戦争時代の講談師~」 18:30pm開演では到底間に合わぬ・・・またまたトークが聴けずに、南華さんから。 放浪の果て、許されて大阪の講談席へもどった鶴蔵が、二代目・旭堂南陵になるところ。 大阪ではペストが大流行し、不潔な場所=講談席ということで、多くが閉鎖される。 どれだけ不潔だったかという話で、高座に湯のみ茶碗を置いてあったのが、 飲まないとずっと置いたままで、ある時三代目が茶碗のフタを取るとボウフラがわいていたと。 講釈師が生活にますます困窮していく中、天満の旦那連に贔屓にされ腕もあって 瞬く間に大阪の「顔」、そして新聞連載が始まったら爆発的な人気になっていった。 南湖さんは、どれだけ二代目が優れた人物だったか、あるいは女好きであったかを 具体的なエピソードをたくさんまじえて笑い多い一席。 田辺一鶴さんや、神田伯龍さんに南湖さんが「好きな講釈師は?印象にのこっているのは?」 と、尋ねるとみなさん「二代目南陵さん」とお答えになったそうな。 信心深いのか、何教でもすぐ影響される二代目は、仕事先でキリスト教の洗礼までうけて 「パウロ」という名前もついているというのには爆笑。 ラジオの試験が始まったころには、講談では一番に電波に乗り、ますます人気があがってゆく。 南海さんによる戦争時代の話は、今読んでいる「与太郎戦記」とダブっているから興味をひく。 ここからぼちぼち三代目・南陵さんが出てくる。 16~7才のころには、忙しい父の二代目南陵に黙って勝手に高座にあがっていた三代目。 高座名は兄弟子たちが勝手につけた「南海」。 19歳で徴兵されるが身体が弱いというので除隊になった後、所属部隊が全滅。 すんでのところで命拾いした南海(後の三代目南陵)、講釈師への志を強くする。 戦局があやしくなる終戦間際には補充兵として満州に派兵され、色んな辛酸をなめ、 また知恵をしぼって大儲けし、またまた損をし・・・ようやっと終戦を迎える。 生き残った戦友が、当時の小休止に戦場で講談を読んでいる南陵さんと聴く戦友たちを 絵に描いて送ってこられたそうで、 生き死にの眼前にぶらさがる現場で、「大久保彦左衛門」のチャリ場を読むようすが。 「師匠、こんなときにウケ狙うてましたんか?」と南海さんが問うと 「そやったかいなあ、覚えてへん」とトボケてはったそうな。 無事昭和21年に帰国すると、やがて米朝師匠や文枝師匠らと出会って今日があると・・・。 いや~、マニアックな講談・・・楽しかったです、満腹であります。 帰りに寄った「江戸幸」さんでは、テレビでサッカー観戦しながら飲んでいたお客さんが 丁度帰って少し空いたところ。 艶芸サロンの会にも来ていただいたことのある常連の若夫婦さんが、江戸幸のおかみさんの お誕生日が明日だというのでお祝いのケーキをプレゼントされていた。 かっぽれも6月生まれなので、勝手に心の中で自分のことも祝っておいた。 大将はピンクのシャンパンを用意しておられて、プチお誕生会。 おかみさん、おめでとうございます!! 「江戸幸」の大将は、落語家さんですか?とききたくなるようなオモロイお人です。
by kapporeblog
| 2008-06-02 23:55
| かっぽれの右往左往
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