by kapporeblog
カテゴリ
リンクリスト
検索
以前の記事
2020年 07月 2020年 03月 2020年 02月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2006年 10月 2005年 07月 2005年 02月 タグ
落語(309)
その他(295) 大阪(275) 演芸(224) はる・なつ・あき・ふゆ(217) おいしい(133) 和の音(123) 講談(115) 柳家紫文(104) 桂米左(101) 旭堂南海(97) きもの(83) 東京(79) 匠(73) 京都市東山区(71) 京都市下京区(45) シンデレラ・エキスプレス(42) 町家(35) 牧伸二(23) 京都市上京区(23) ブログパーツ
最新のトラックバック
お気に入りブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2008年 8月6日
被爆体験を絵本にされた女性と、それをプロデュースされた早坂曉氏の講演会。 夕方5時から降りだした雷雨が激しく、落雷と洪水で電車が止まってしまった。 仕方なく途中の駅から40分もかかるバスに乗り、遠回りして倍の運賃のJRに乗る。 会場は天満橋のドーンセンター、一時間遅れて到着。 広島原爆体験者であり「あの日を、わたしは忘れない」の著者である、河野きよみさん(77歳)。 あの時苦しんでいる人達をどうすることも出来なかった自責の念や、 友達とのつらい死別を思い出し「描けない」と言った。 だけど、体験した自分にしか描けない想像を絶する風景だったから、伝えなければという想い。 つらかったが絵にした記憶の中の人達に語りかけながら描いたとも。 監修の早坂暁氏は、ご自身も兵隊に行かれていたことから、 軍部が得ている情報は国民の命にかかわることでも全く報道されない異常さを経験。 「大人は当てに出来ない、大学生も高校生でも利益・不利益を言い出してダメだ。 もっと若い子供に、少年少女に、この記憶を生きている間、命のある限り伝えたい」 とおっしゃっていた。 見渡せば、核兵器所有国に囲まれた日本のおかれている立場の恐怖。 戦場で一兵卒として見ていた軍部のとる行動を、今、海外の核保有国に当てはめるとき、 もう10年したら間違いなくそのスイッチを押すときが来る。 それを絶対に絶対に止めなければならない。 その恐さをきちんと知らないし知らせていない現代。 核兵器が爆発したらその影響が子々孫々に出続けるということ。 事実、アメリカの原爆投下に携わった兵士が、 「投下したことは後悔しない、自国(アメリカ)のために自分が被爆したことも後悔しないが、 今でも放射能の影響無しには自分の子や孫、その子らが生まれてこなかったこと (被爆症状が投下したアメリカ兵自身の子々孫々にまで出ている)を経験し、はじめて心から悔やむ」 と言った話など。 このように、最後の結果も恐ろしいが、自国のためならばためらわずに大量殺戮に加担できる精神状態に教育できることも・・・なんとも言いがたい恐さだ。 アメリカに守られているとう錯覚を捨てて、危機感をもって人類を絶滅させる核兵器廃絶の意味を訴えていかねばならないという早坂先生の声には血がにじむような叫びだった。 さらにお話は世界の政情についてかなり具体的なお話があった。 凍りつくような事実が、今こうしている間にも準備されているということです。
by kapporeblog
| 2008-08-06 23:11
| かっぽれの右往左往
|
ファン申請 |
||